3.
二時間走り回った俺の脚は、最早立つことすら赦してはくれなかったし、それはどうやら素の沙花の奴も同じだった。
「はぁ……はぁ…お…かしいな……そんな、柔な…わけでもな……いの…に……」
鍛えていればどうにかなるってわけでもないし、二時間全力で走れる体が柔だなんてとんでもない話だ。
「…ん……はぁぁぁっ………」
深呼吸で、無理やりに呼吸を整えると沙花は、すっと立ち上が─らずに再び石段に座り込んでしまった。
「にしても、なんで……軌修は息一つ乱してないの?」
「昔から体力だけはあるからな」
嘘。
呼吸の整え方が上手いだけで、正直いっぱいいっぱいだ。
立ってるのもやっと。
「自販機で飲み物でも買って来る」
流石に見てられないし、かなり辛そうだ。
「あ、私も行く」
「いいから、休んでろ」
「ん……」
ふらふらと立ち上がろうとする沙花を制して、俺はその場を離れた。
直前に沙花が何か言っていた気もするが、気にしない。
近くにあった自販機─あってよかった─で、カフェオレと緑茶を買い、沙花の休む──と、振り返るとそこには、サンタ少年がいた。
「……お兄さん、案外馬鹿なんだね」
いきなり、なんて失礼な事を言う奴なんだ。
「アシを捨てて僕を追ってくるたぁ、思わなかった」
「お蔭さんで、ここ一週間は筋肉痛が続きそうだ」
冗談でなしに。
「プレゼント、もう全部届け終わったよ?」
言われてみれば、さっきまで背負っていた袋がない。
足も、普通の靴のようだ。
時間も、残り少ない。
どこかそこらにでも身を潜めていれば、自然と勝ちはやってくる。
そんな状況にして。
そんな状況であり。
そんな状況だというのに。
何故、この少年は俺の前に姿を現したのだろうか。
と、少年が静かに続ける。
諦めとも呆れとも取れる溜息と共に。
「お兄さん、ルールを変えよう」
「……あ?」
なんで今更、そう思った。
「さっきの公園内に限定して、鬼ごっこをしよう」
「なんでまた」
そう思ったから、そう口にした。
そして、きっと、また、
少年も俺と同じに。
「その方が、面白そうだから」
そう思って口にしたのだ。
それだけの理由。
『楽しもう』と思って。
あぁ、そうか。
精一杯。
生きているって事を、楽しもうとしていたのか。
この馬鹿、二人は。
沙花が、怪談などというものに昔から興味あるのも。
サンタが、この街でゲームをするのも。
自分第一に楽しみたいと思って。
他人第二に楽しんでもらいたいと思って。
そういうことだと、言うのか。
……いや、馬鹿三人か。
何故なら、俺も
「は。その勝負、乗った!」
『楽』が好きなのだから。
「はぁっ!? なにそれ、今までの苦労が水の泡じゃにゃいの!」
さっきのことを、包み隠さず話すと、第一声そう言われた。
カフェオレで舌を火傷したのか、呂律が変だった。
「ともかく、そういうわけだ」
「そういうわけだ、っじゃないでしょう?」
「勝てればいいだろ」
「勝てるのかな?」
「勝つんだよ」
「なにそれ。自分は不可能を可能にできる男だって?」
それは死亡フラグだ。
「不可能じゃねえよ」
「勝算はあるのかな?」
「知らん」
蹴られた。
さすがの弁慶も、これは確かに泣きざるをえない。
つうか、まじ痛ぇ!
「ふーんだ」
苦痛に悶え苦しむ俺など知ったことではないと言わんばかり、沙花は石段から立ち上がると、公園へと向かいだした。
なんとも惨めな気持ちである。
試合の前から負けていた、みたいな。
佐々木小次郎の気分とも言えようか。
そうして、遅れて十分。
時計公園、時計塔の前に、サンタ少年はいた。
沙花はというと、時計塔の壁に寄りかかって、未だにちびちびと、片手をポケットに突っ込んで啜っている。
クールだ。眼鏡っ娘だし。
「後一時間くらいだね」
腕時計を確認すると、確かにもう四時だ。
時間が経つのは早い。
あっという間だ。
あっという間に、このゲームは終わる。
「お兄さん、一人でやるの?」
「ああ」
「ふぅん、ま、いいけどね。負けても文句はなしだ」
「当然だ」
負けるはずがないから。
負けを考えて、ゲームなどしないから。
「そ。──じゃ、開始!」
言うと同時に、少年は真っ直ぐこちらへ向かってきた。
掴もうと伸ばした腕を、するりと走り抜ける。
予想外。
まさか、向かってくるとは思わなかった。
面白い奴。
振り返る、そこにはにやにやと笑みを浮かべながらサンタが立っていた。
逃げるつもりは、ないらしい。
本当──面白い奴だ。
そうして、鬼ごっこのようで鬼ごっこではない鬼ごっこが、開始した。
一時間。
きっちり一時間消費して、その勝負は終わった。
意外や意外に。
なんとも卑怯な一手だった。
その場の誰もが、唖然してしまうほどに。
俄然と向かってくる椿田軌修の手腕を、ひらりひらりと躱し続けて五十九分。
あと一分。たったの六十秒を逃げ切ればサンタの勝ちという状況。
そこで、彼は、油断しなかった。
今までまんまと逃げていたのだから、慢心してしまってもおかしくはない。
だが彼は、強かった。
油断も慢心も勝利の確信も、一切合切なし。
瞬き一つの隙すら見せず、軌修の応対をしていた。
ひらり、ひらりと。
幼い矮躯をフルに活用して、右に左へと腕を躱す。
だが、
そうして彼が立った場所は、
銃郷沙花の、目の前。
彼女から、一メートルもしないところ。
そこに、サンタ少年は立った。
立ってしまった。
油断なく、慢心なく、確信なく、ただ敵を軌修だけなのだと、思い違えて。
その場に、追い込まれた。
追い込まれたなどと、気づく間もなく。
それどころか、椿田軌修すら追い込んだなどと思ってはおらず。
目の前。
銃郷沙花の目の前。
サンタがそこに立った、次の瞬間に、
彼女は彼へと飛びついた。
予想外の出来事に、サンタ少年は反応出来ず。
──見事に、彼らは勝利を収めた。
「……」
「……」
「……」
三人の沈黙が、場を支配している。
ぽかんと、開いた口が塞がらないとは正にこの事。
一分、たったの一分をまんまと逃げ切れなかった、サンタ少年が、長い長い沈黙を破った。
「……あ、あははっ」
笑い声。
本当に可笑しくてたまらないとばかりに、彼は笑い転げた。
「あーっははははははは!! まさかこんな終わり方だとは思わなかったねっ!! あはははははははははは!!!!」
つられて、俺や沙花も。
「くっくくく、まったくだ。これはないぜ、ほんと」
「ふふ、私も吃驚よ、この結末は」
しばらく、そのまま地べたに座り、笑い合って。
お互いの健闘を称え合ってみたりして。
そうして、しばらく後に。
ふと思い出したかのように、
「そうだ、プレゼント渡さないと」
サンタ少年がそう言い、ピュゥっと口笛を吹いた。
すると、今までどこに置いていたのか、銀色のトナカイロボットが飛んできた。
後ろのソリに乗り込み、なにやらがさごそと漁るサンタ少年。
「──っと、これだったな、確か」
独り呟き、こちらを振り返る。
その手に握られたのは、小箱が二つ。それから麻袋。
「ほれ」
と放った小箱を、俺は見事にキャッチした。
片方を、沙花に放る。
これまた見事にキャッチ。
おずおずしながら、沙花は箱を開いた。
その中から取り出したのは、一つのネックレス。
銀の鎖に蒼い石が一つだけ付いた、シンプルなもの。
銀の鎖に赤色の石のネックレス。
手に取り、まじまじと見ると、吸い込まれそうな魅力があった。
それはどうやら沙花も同じようで、じ〜っとその石を見つめたまま。
「おい、それだけじゃないよ、こっちを見ろ」
言われて、サンタ少年を見やると、彼は麻袋を片手に手招きしていた。
近寄る。
「じゃ、これに手を入れろ」
「なんでよ?」
沙花が問う。
「そっちはオマケみたいなもんで、こっちが本命なんだよ。あぁ、でも、肌身離さず持ってろよ、それ。で、こっちの話。欲しいもんを思い浮かべながら、手を入れればいい」
「ふぅん、四次元ポケ○トみたいなものね」
実にわかりやすい説明だが、何かを台無しにした気がする。
……いや、気のせいか。きっとサンタ少年が物凄い睨んでくるのも気のせいだ。
「えっ…と、じゃあ、俺から入れるな」
麻袋の中に手を入れる。
中には、なにかとてつもなく広い空間が在った。
麻袋の中ではない、どこかに手がいってしまったよう。
不思議な感覚だった。
ふらふらと、手を動かしていると何かを掴んだ。
一気に、引き抜くと。
「……手袋?」
何故だろう。手袋は、もう履いている。
それに俺は、五万円が欲しかったのだが。
「私は……マフラー?」
沙花が取り出したのは、もうすでに着けているはずの、マフラー。
「おかしいわね、カリバーンが欲しかったのだけど」
聖剣!?
しかもエクスカリバーンじゃないのが通っぽい!
いや、通なのか!?
「ちょっと、どうしてこうなの?」
「さぁ、詳しい話を先代から聞いてないからね。とりあえず、怪談部にはそれでなんか出しとけって言われてたから」
なんてアバウト! サンタの癖に!
「そんなわけだから、じゃあ」
ひらひらと片手を振りながら、トナカイが上昇。
「メッリィィィィィィィィィィィッ・クリスマスッ!!」
ジェットエンジンのような轟音と共に、どこかへ飛び去ってしまった。
「……」
「……」
残された、俺と沙花。
互いに顔を見合わせて。
手袋とマフラーを、交換した。
足りない部分の補い合い。
悪くない。
図られた感が、あるけれど。