未来 -Wish-
生きたい。
どんなにそう願っても、やはり死ぬ時は死んでしまうもので。
そんな人たちは、きっと神様を呪うのでしょう。その存在を、信じてなくても。
否。だからこそ、責任を擦り付ける相手にはもってこいだ。
まぁ、今の私なんかが、そうなんですけど。
私の名前は、
日頃の行いはそれほど悪くはないと思うのですけど。
・・・・・・はぁ。ほんと、悪くないと思うんだけどなぁ。どうしてだろ。
『運命』ってやつでしょうか。それとも『試練』? 絶対にサクラ散る『試練』なんていらないって。勘弁してよ、もう。
あーあ、ほんとどうしてよ。
これで私の人生終わりだよ?
ぶさけんじゃないわよ。
せめて、あと十年は生きたかった。
生きたかった。
何が何でも、生きてみたかった。理由はないけど。
でも無理。ごめんね、私。
私、死ぬんだ。
「確かにキミは死ぬ。これはもうどうしようもない事だ。
だけど、キミはまだ生きている。残りの生を満喫しようとは思わないのかね?」
唐突に、声が聞こえた。男の声だ。
・・・・・・さぁて、これはどう捉えるべきか。幻聴だろうか?
いやいや、事実目の前に、壁に寄りかかるようにして、声の張本人であろう黒衣の男が立っている。
───ってことは、幻か。突如そこに現れたんだから、幻でしかない。
ついに頼れる最後の綱である頭脳までイカレちゃったか。ほんと、終わってるね。
「・・・・少女よ、喜ばしいことに私は幻ではないよ」
苦笑するよう男は言う。
「へぇ。じゃあなに?」
私は問う。
「───死神、さ」
男は両手を広げ、格好つけたようにそう答えた。『ように』どころか、バリバリ格好つけていたが・・・・。
これが、私と彼──
「つまり貴方は、私を殺しに来た死神ってこと?」
「そういうことだが・・・・、殺しにきたという言い方は好ましくはないな」
「私だって好きでこんな事をしているわけではないのだよ」
「どちらにせよ、貴方は私の魂を連れて行くんでしょ?」
仁依は、もうすぐ死ぬ私の魂を狩りに来た死神だった。
死神は、曰く罪人らしい。『自殺』という大罪を犯した者が、その贖罪に他者の魂を狩り集める。
一定数集めれば晴れて自由の身となり、転生の権利を得ることができる。
転生は、別の生を歩むための手段で、人間だけでなく全ての生物に与えられる権利らしい。
だが、生前罪を犯した者はその贖罪を強要される。
中には例外も、あるらしいが。
「まぁ、そうなるだろうね」
ハッキリと答えやがって・・・・。少しは余命宣告された身にもなってみろ。
って仁依は死んでるんだったか。
「ふぅん。・・・・・どうにかできないの?」
「無理だね」
「やっぱ死ななきゃ駄目?」
「運命は変えられないし。変えてはいけないものなのだよ」
「・・・・・・・・どうしてよ。私なんも悪いことしてないんだよ? 助けてよ」
「残念だけれど・・・・・。私は、無力なんだよ・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・助けて」
「・・・・・・・・・・・・無理だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
長い沈黙。それを破ったのは私の溜息だった。
深く重い、溜息を一つ。
「・・・・・・・・・・・・・・・わかったわよ」
変えられないというのなら、仕方が無い。
オーケィ。お陰様で覚悟は出来た。
変に慰められるより、幾分マシだわ。
うんっ、これでいつ死んでも、誰にも文句言わずに、潔く逝けそうだわ。
だけどね。私は。
無様だと罵られても。
愚かだと蔑まれても。
滑稽だと嘲笑われても。
馬鹿だと見下されても。
それでも、私は─────
生きることを──────
生き続けることを────
「最後まで、諦めないから」
仁依は、一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに一変、微笑んだ。本当に微か。当の本人さえ、笑ったことに気付いていないんじゃないかと思うほど。微かに。
そして何も言わずに踵を返すと────、消えた。
やはり彼は、人ではないようだった。
「ふん。実に良い笑顔を浮かべているな、我が親友」
「そんなことはないさ、我が親友」
病院の屋上。
そこで二人の男が会話を交わしていた。
「そんなにあの娘が気に入ったか?」
「見てたのかよ・・・・。まぁ、気に入ったというか・・・・・」
「少なくとも嫌いではないのだろう?」
「まぁね」
一人は、真っ黒なローブを着た、優しげな、だけれど少し寂しげな瞳をしている男。
一人は、今やボロボロになった布切れ同然のコートを着た、シニカルな笑みを浮かべている男。
「ふん。それで、仁依、お前はどうするんだ?」
「・・・・・・・・・僕に出来ることなんて、たかが知れてる」
「ふん。確かにそうだな。所詮・・・、お前は死神に過ぎない」
「キミの言うとおりだよ。僕は・・・、ただの死神に過ぎない」
「無力だな、お前は」
「有力だろ、キミは」
「そう。俺は確かに有力だ」
「そして、僕は無力だ」
「だけどな、仁依? お前に出来て俺に出来ないこともあるのだよ」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・・・」
「ふん。じゃあな、仁依。また会おう」
「・・・・・・・あぁ、また」
男は消えた。
独り残った男は、そのままぼんやりと、夜空を見上げた。
目が覚める。無事、何度目かの朝を迎えることが出来た。
「ん〜〜・・・・っと、今日もしっかり生き抜くぞー」
「それはまた、殊勝な心構えだね」
気付くと、仁依がベッド脇に立っていた。
「あ、いたんだ。おはよう」
「あぁ、おはよう。それで今日も読書かな?」
「まぁね。それしかやることないし、自分の病気のことぐらい知っておかないとね」
あれから私は、主治医の方に自分の病気について問いただした。
とりあえず、生き続けるためにはどうしたらいいか。
なにをして、なにをしないのが、自分の身体に良いのか。
ただひたすらに自分のことを知ろうとした。
自分のことを理解して、それでやっとスタートラインに立てるだろうから。
そこから、『生きる』ことが始まると、思ったから。
「ってなわけだから、邪魔、しないでよね?」
「勿論だ」
病院の屋上。
真っ暗な闇の中、二人分の影が並んでいる。
「ふん。どうした、我が親友?」
「どうしたって・・・・なにが?」
「なにを、悩んでいる?」
「別に・・・・・、悩んでなんかいないさ」
「ならば聞くが・・・・、お前は、何を一体どうしたくて、その為にはどうするべきなのか解っているのか?」
「・・・・・・・・・」
「・・・・解っていないだろう? いいか? 二度目になるが、お前にしか、出来ないこともあるんだぞ?」
「・・・・・・・・・僕にしか、出来ないこと?」
「そうだ。考えろ。そして気づけ」
「・・・・・キミは、何を言っているんだ?」
「ふん。忘れるなよ。俺は、いつでもお前の味方だ」
男は最後にそう言い、姿を消した。
「おい! 待てよっ! お前は──何が言いたいんだ!?」
男の声が、虚しく夜気を振るわせた。
「ふぅ・・・・・」
読書に疲れた私は、本を閉じ、小さく溜息を吐いた。
「お疲れのようだね」
「ん・・・、まぁ」
今日も仁依は私の病室ヘヤにいる。
退屈な入院生活の中、こう常にいるのは有り難い。
「それで、少女よ。あと僅かだが、どうする?」
死神でなければ、本当にいい話し相手なのだが・・・・・。
「どうしようも・・・・、ないわね」
「諦めはついたかね?」
「
そう言う私を仁依は、くすりと笑った。失笑。苦笑のようなものだった。または、自嘲・・・か?
「私の事は、私が決める」
「私の未来は、まだ終わらないわ───!!」
「くくっ・・・・! お前が入れ込むのもわかるぞ、我が親友」
「・・・・・・」
「中々に格好いいことを言うではないか。なぁ?」
「・・・・・・」
「ん? どうした、未だ悩ましそうな顔してるぞ?」
「・・・・・別に」
「ははぁ・・・・なるほど、お前はあの娘が『生き』ようとするのを、快く思っていないのだな?」
「なっ・・・・!! 違う! そういうわけじゃない!」
「では、どういうわけかな?」
黒衣の男は、答えられず。そのままそっぽを向いた。
「ふん。お前という人間は、自分の事となると全く見なくなる」
「それが別に悪い事だとは言わんがな。あぁ、言わないさ。そんなことは、全然悪くない」
「だけどな、仁依? じゃあ、お前の本当に悪い所は一体なんだと思う?」
黒衣の男は、答えない。
「お前の悪い所は、お前の本当にいけない所は」
「何でも自分で何とかしようとする所、なんだよ」
なぁ、と男は問いかける。
「時には、誰かを頼ってもいいんじゃないか?」
僕にとって、あいつ──
親友だからこそ、弱みなんて見せてこなかったし。あいつも弱みを見せなかった。
互いに互いを知っているから、本音を言い合う必要がなかった。
手助けする必要がなかった。慰めの言葉も。励ましの言葉も。
何一つ、必要なかった。
そういう親友同士だからこそ、言うべき事は言うべき時に、言うのだろう。
「・・・・・あぁ」
溜息を吐くように、黒衣の男は頷く。
「そう、だな・・・。確かに、キミの言うとおりだよ・・・・」
「やっと・・・、解った。気付いた、と言うべきかな」
「僕にしか、出来ないこと」
「無力な僕にしか、出来ないこと」
それは───────
余命まで、あと僅か。
僅かといっても、あと一年はある。
だが、この少女にとってそれは、本当に僅かなのだ。
今を精一杯生きようと。
生きた証を残すことも忘れて。
今を必死に生きている。
今に必死にしがみ付いている。
この少女には、一日も、一週間も、一年も、十年も、同じものだ。
同じく──、失うことが嫌。
同じく──、失うことが惜しい。
同じく──、失うことが怖い。
絶対に──、失いたくないもの。
それを守ることが出来るなら、僕はどんなことだってしてあげよう。
それで、彼女が幸せになるというのなら───────
「なぁ、我が親友」
隣に腰掛けていた黒衣の男は、静かに立ち上がると、ローブの男の前に移動した。
「なんだ?」
あわせて、ローブの男も立ち上がる。
「頼みを、聞いてくれ」
「頼み? 俺に対してその言葉は正しくないな」
そうだった、と黒衣の男は言い。
「なぁ、干渉者」
「どうした願望者」
「僕の望みを、叶えてくれ」
「ふん。いいだろう。ただし、タダで叶えてやるほど、俺は優しくないぞ」
「わかってるさ・・・・」
一呼吸。
「言うがいい。貴様の願いを」
決意の瞳が、干渉者を見つめる。
「彼女の、伍城梨亜の運命を、変えてくれ。いや──」
くっ、と干渉者──狩野威魅──は喉の奥で笑うと、願望者──果級仁依──を見下ろす。
「その願い──叶えてやろう」
「恩に着る」
余命まで、あと一週間。
医者が定めたものでなく、初めから定められていた余命まで。
残るは七日。たったの七日。
なにも、出来ない。
なにかを残すには、短すぎる。
なにか生き続ける術を模索するには、短すぎる。
タイムリミット。
諦めるには、絶好の頃合。
この機を逃せば、死ぬ直前まで、生き続けることを想ってしまう。願ってしまう。
それなのに──
「私は、諦めてないから」
「あと七日しかなくても、私は諦めないから」
「絶対に、生き続ける。そう、決めたから」
「だから私は、まだ終われない」
少女は未だ、『生きる』ことをやめなかった。
「少女よ・・・・」
「なぁに・・・?」
「私はもう、ここには居られない」
少女は瞳を大きく見開き、問う。
「・・・・・・・・・・・・どうして・・・・?」
「居る必要が、なくなったからだ」
「え・・・・っと・・・・・・? わけ・・・わかんないんだけど・・・・?」
「さよならだ、梨亜」
「ちょ・・・・、待ってよ・・・! ちゃんと説明してよ!!」
そうして、果級仁依は居なくなった。
「くっ・・・・。ちゃんと説明してやればいいものを」
「いいんだよ。・・・・・きっと、彼女は認めない」
「ふん。今と後、どちらの方が幸せかな」
「本当は、一生知らない方がいいんだろうけどね」
「それは無理な相談だな。説明は、ちゃんとしなければならない」
「そして、受け入れなければならない」
「・・・・その通り。変えられた運命を、あれは受け入れ、前を向かなければならない。だがお前が望むなら───」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・。お別れだな、狩野威魅」
「あぁ・・・・・。お別れだ、果級仁依」
「キミとの日々は、実に楽しかった」
「同じく。お前との会話は
「さよなら、威魅」
「またな、仁依」
くすり、と。小さな笑い声は、徐々に大きく。
二人分の笑い声が闇を揺らし、そして徐々に、一人分の笑い声となった。
余命から、一週間後。
幸いなことに、伍城梨亜は生きていた。
医者どころか親たち本人さえ、首を傾げるほどの回復だった。ほとんど覚悟していただけに、
喜ばしいことに代わりはないのだから、特に気にもしていなかったけれど。
そんなある日。
大事を取って、入院持続中の彼女の元に、一人の男が現れた。
まさしく、現れた。唐突に。突然に。それはまるで。
「ふん。随分と元気そうだな」
「・・・・・・・アンタは、誰?」
「それは尤もな質問だが、それよりも聞きたいことがあるんじゃないのか?」
「聞きたい・・・・こと?」
「その通り」
格好つけたように、男は言う。それはまるで
「・・・・・・・別に、ないわ」
「ふん。本当にそうか? よく考えろ。否、思い出せ」
「なに、を・・・・・思い出せって言うのよ」
「果級、仁依」
梨亜の問いかけに短く答える。
「はてし、な・・・・きみ、え・・・・?」
「そうだ。果級仁依だ。思い出せ、あいつのことを」
「お前は、あいつの事を決して忘れてはならぬはずだ」
「お前は、あいつのお陰で──」
そこで男は、はたと口を閉じた。
言い過ぎたと、後悔するように。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
沈黙が、病室を支配する。
「・・・・・・・・・・わよ」
沈黙を破ったのは梨亜だった。
「ん? なにか言ったか?」
「・・・・・・・て・・・ないわよ」
「そう、ボソボソ言われても聞こえないのだが」
「忘れてなんか、ないわよッ!!」
大声で、怒鳴る。
「忘れるわけないでしょ! だって、仁依がハッキリと私が死ぬって言ってくれたんだから!!」
「ああ言ってくれなかったら、私、なんとなく死んじゃったかもしれない!!」
「死ぬ覚悟なんて出来ずに、生き続けるなんて願わずに死んじゃったかもしれない!!」
「仁依は、果級仁依は! 私を、救ってくれたんだ!!」
「だから──、忘れることなんて、出来るわけないじゃない!!」
驚き、そして男は笑いだす。
「・・・・くっ・・・くくっ・・・・・・あーはははははははははははははっ!! ははははーっははははははははっ!!」
男にとってもこれは、意外過ぎたからだ。
「くっくくっ、喜べ仁依、こいつはお前のことを忘れなかったぞ! 賭けは、お前の負けだ!!」
「伍城梨亜よ! 真実を知りたくはないか? あいつが居なくなったワケを、知りたくはないか?」
問いかけに、少女はただ一度、肯いた。
「あいつは自分の命、と言うよりは存在を失う代わりに、お前の運命を捻じ曲げたのだよ」
少女は、黙った。
長い間、黙っていた。
目を瞑り、黙り続けた。
何かを想い、何かを考えるため、伍城梨亜は黙り続けた。
そしてポツリと。
「・・・・・なんで、私じゃないの?」
「・・・・・・・・・」
「どうして、私からは何も奪わないの?」
「願いを叶えるのに、なにか要るなら、どうして私から奪わないの?」
「だって! ・・・・生きたいって願ってたのは私よ?」
その問いに、馬鹿にするよう鼻で笑うと。
「ふん。そんな事決まっているではないか」
「──────あいつが、そう願ったからだよ」
「あいつが、お前から何一つ奪いたくないと、願ったからだよ。それが本当の願いだったからだよ」
「だから、お前からは何も奪わん」
「話は以上だ。俺は行く」
言うと、男は踵を返し去ろうとする。
が、それを少女は。
「あ・・・・・待って!」
引き止めた。
「・・・・・・・・なんだ?」
男は振り返り。
「・・・・・・・・・・・」
自分でも何を引き止めたのか解らないのか、少女は目を泳がせている。
左へ、右へ。上へ、下へ。
行ったり来たり。来たり行ったり。
だがそれも、徐々に定まって。
決意の瞳がそこには在った。それはまるで
「何も無いのなら、行くぞ?」
背を向けようとした男に、少女は言う。
「────────私の願いを、叶えて」
「ふん。言ってみるがいい」
そのままの体勢で、男は答える。
深呼吸、一つ。
「──────────────」
少女は、『願い』を口にした。
男はそれを聞き届けると、静かに喉の奥で笑った。
「本当にお前は、驚かしてくれる。くっ。いいだろう」
再び梨亜の方を向く。
「その願い──叶えてやろう」
ある日。四方を『白』に染められた部屋で、私は一人の少女と出会った。