〜いつか離れて、またくっついて〜

 

 

 

 オレには毎年限った日に行く場所がある。

 そこは家からさほど遠くは無く、町の全貌を見渡せる山のてっぺんだ。

 頂上にはまるでシンボルかなにかのように、一本の木が植わっている。

 木に詳しくはないので名前はよくわからない。もしかしたら春先によく聞く杉の木なのかもしれないし、まったく聞いた事も無いような木なのかもしれない。

 真っ直ぐ天に向かうその姿は、まるで塔だ。バベルの塔。このまま成長したら雷かなにかが落ちるかもな。

 いや、だがオレは、木が一体どこまで成長するのか知らない。太くはなるのだろうが、上にはまで伸びるのだろうか。

 ……なるほど。

 どうやらオレは、自分で思っているほど知識人ではないようだ。まぁ、それもそうか。成績なんて中の中だし。

「……ふぅ」

 山の上、オレは静かに溜息を吐いて、遠くに見える夕日を眺めている。

 赤く紅く、世界を全て燃やし尽くしそうなそれは、もうすぐ地平線の向こうへ沈み、オレなんかが見たこともない世界を照らすのだろう。

 そして、次には月が出る。

 月と太陽。二つは互いに追い追われている。

 長い年月の中、時々に重なり合うけれど、それもほんの一瞬で、すぐにお別れ。

 

 まるでそれは──

 

「……」

 夕日が沈み、世界が黒く染まっていく。

 幕が降りたステージの上で、オレらは二人っきり。

 傍らにいるのは、一人の少女。

 すやすやと、気持ちよさそうに眠っている。

 もう少しだけ、眠らせておこうか。

 オレらは星を見に来たのだから、まだしばらくは、そんな時間が許されているはずだ。

「……ん」

 そっと少女の頭に触れた。

 やわらかな髪だった。みんながみんな、こうなのだろうか。

 他の女の髪なんて、触れたことが無いからわからないけど、こいつ──奈乃香なのかのは触っていて飽きない。気持ちがいい。

「……ひこくん?」

「っと、ごめん。起こしちまったか」

「ん……別にいいよ。もう夜だもん。……夜?」

「夜だよ」

「時間は?」

「六、いや、七時くらい?」

「──ばーかっ! どうして起こさないのよ! 七時になったら起こしてって言ったでしょうよ!」

「んだよ、もう少ししとやかにいろよ。あーあ、折角寝起きのお前を楽しんでたのに」

「っさい! 天の川見るんだから、日が落ちたら起こしなさいよ!」

「いいじゃねーかよ、少しくらい。まだ沈んだばっかだよ。もう少し寝てろ」

「時間は有限じゃないのだよ、少年!」

 ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーと、騒がしいオレら。

 とてもじゃないが、星を見に来たロマンチストには思えない。いや、星見る奴がロマンチストなんてのはオレの偏見だけど。

「いいかね、少年。時間ってのは無限だけど、個々人にとってはどうしようもなく有限なんだよ」

「なにその酔っ払いみたいな」

 酒は飲ましちゃいないはずなんだけど。

「っさいよぅ。つまりだよ、私はさ、時間ってものを大切にしようというわけなのさ」

「はぁ」

「だから、とっとと起こせっつーの!」「痛ぇ」

 ぺしんと、頭を叩かれた。

 絡み酒か?

「というか、しつけえよ。もうわかったよ」

「っさい。彦くんはしっつこいくらい言わないとわかってくれないじゃないのよ。というか、シカトの域ですよ。無視すんなー。ばかー。アホー。ばかー。ちびー。ばかー」

 ばか連呼しすぎ。そしてオレはチビでもない。平均だ、平均。

「顔はいいんだから、んなばかばか連呼すんなよ。イメージ下がるぜ。人気投票に勝ち残れないぜ」

「知らないよ、人気投票なんか。ってかしてないし、そんなこと。それにほら、最近はツンデレブームとか言うし?」

「ただ暴言吐くのはツンデレじゃねえよ」

 それに『ばか』だなんて、安直すぎだ。

 ひねろよ。暴言一つにしたって。

「喫茶店もできたんだってね」

「あんなの、ただ接客態度の悪い喫茶店だ」

「そこまで言うかっ」

「メイド喫茶なんてのも、あんなのは文化祭でしか許されねえ」

「ブーム全否定ー」

「大体、あんな文化がブームってのがおかしいよな、絶対」

「おかしいとか、言うなー。ブームだぞ」

 べしんと、再び殴られた。

 やっぱりそこそこに、痛い。生きてる証拠。

 ブームだぞって、そんなに流行大切かよ。というか、ブームなのか?

「あぁ、そだ。短冊持ってきた?」

 唐突に話が変わる。

 いつものオレたちだ。

 話のネタがあれば、唐突であっても繋ぐ。できるだけ多く会話しておきたいから。

 本当にネタがないときは、ただ傍にいるってだけでも、満足だけど。

 結局は、二人ならいいのか。

「持ってきたよ、一応」

 ポケットに入れておいたそれを取り出し、奈乃香に渡す。

 黄色の紙で作った短冊と、ペン。

 オレのは赤色で。

「よーしっ、書くよー」

「書けよ」

「ノリが悪ーいっ。『オー』ぐらい言おうよ」

 ぺしん、と。

 こいつ叩きすぎ。

「なぁに書こっかなぁ」

「というか、七夕なんて信じてるのかよ?」

「んーん」

 首を横に振る。

「でも、信じてみてもいいじゃない。願いが叶うなら、信じたいじゃない」 

「……そんなものかぁ?」

「そんなものだって」

「夢に向かって自分の足で走る方が、よっぽどいいと思うけどなぁ」

「まぁまぁ、いいからいいから。さっ、書けー」

 いつの間に書いたのか、言いつつ彼女はこちらにペンを差し出してきた。

 仕方なく受け取り、さらさらっとオレは短冊に願いを書く。

「──こんなもんかな」

「なんて書いたのー?」

 覗き込んでくる奈乃香の頭を押しのけ、短冊をポケットにしまった。

「いじわるー」

「ほら、お前の寄こせ」

「いいよ、自分でやるよ。見られたくないしー」

「あ、そ」

 短冊ってのは本来竹に括るものなのだが、残念なことにここいらには竹が生えていない。

 仕方ないのでオレらは、登りやすそうな木を探し、毎年そこに括っている。

 此処から歩いてすぐのところ。

 やっぱり名前はわからないが、登りやすそうな木があった。

「今年はこれにしとくか」

「じゃ、彦くんからね」

「なんでだよ」

「私が先につけたら、読まれちゃうもん。あとスカートだもん」

 もん、て。さむいよ。高校生にして、それはさむいよ。むしろイタイ。そう、これはイタイんだ。

「なんか失礼なこと考えてる」

「……気のせいだろ」

「そう?」

「さってと、吊ってくるかー」

 あからさまなオレに、奈乃香は不満げな視線を送ってくるが、気にせず木の幹に手をかけた。

 木のでっぱったところに足をかけ、落ちないよう気をつけながらよじ登っていく。

 それなりに頑丈そうな枝までくると、そこに短冊をかけた。

「できたー?」

「ばっちし」

「じゃぁ、今からいくねー」

「気をつけろよー」

「んー」

 オレが通った道をなぞるように、奈乃香は登ってきた。こいつ、運動神経はいい方で、木登りも余裕だった。

「っと」

 隣に腰掛け、短冊を吊るす。

 空を見やると、そこには満天の星空が広がっていた。

「ふわぁ──」

 天の川。

 年に一度だけ出会う、織姫と彦星。

 寂しくは、ないのだろうか。

 想いが冷めることは、ないのだろうか。 

 

 きっと、それは──

 

 オレはもう片方のポケットから、煙草を取り出し、銜えた。

「こら」

「いいだろ、年に一度くらい。あれみたいなもんだって」

「なによ、あれって」

「あれは、ほら、あれだよ。なんて言ったっけ」

「……ボキャ貧ー」

「うるせい」

 ライターで火を点ける。

 吸うたびに、真っ赤に先端が燃える。

 煙がふわふわと夜空に舞っては溶け込んでいく。

 口から煙を吐く。

 夜空には昇らず、その場で空気に溶け込んで消えた。

「……私も、吸ってみようかな」

 言うより早く、箱から一本抜き取られた。

「やめといた方がいいぜ」

「いいのっ」

 ま、何事も経験だけどな。やればわかるさ。

 奈乃香がおずおずと銜えた煙草に、ライターの火を近づける。

「……なんか、点かないよ?」

「こうやって、傍までもってくだろ? 火を。そしたら吸うんだよ」

「ふぅん」

「じゃぁ、もう一回な」

「ん」

 再び銜えた煙草に、火を近づける。恐る恐るという風に、奈乃香は煙草を吸った。

「──ッ!! ゲホッゲホッ!!」

「だから無理するなよ」 

「よく、こんなの吸えるね……」

 ちょっぴり涙目になっていた。

「まぁ、はじめはちょっと苦しいけど。すぐ慣れた」

「はぁ……信じらんない」

 普段は絶対吸わないけどな。それでも。

「……」

「……」

「……」

「……」

 その後ずっと黙りっぱなしで、空を見ていた。

 気づくと、ずりずりと奈乃香が寄ってきて、肩に頭を乗せていた。

 口は悪いけど、結構甘えん坊気質というか。寂しがり屋みたいなところも、あるようだ。

 そういうところとか、結構可愛く見える。

「──そろそろ降りるか」

「そう、だね」

 まだ引き摺ってる。

 降りて、再び一本木のところへ。

 手を繋いで根元に座る。

「あったかいね、手」

「そうか?」

「うん。すごく、あったかい」

 奈乃香は、握ったオレの手に頬ずりするようにして、その温もりを感じていた。

 冷たい頬だった。

 そうやって。

 寄り添って。触れ合って。

 色々なことを話した。

 長く長く。

 一年分の会話。

 いくら話しても、尽きない。

 会話と会話の、ほんの少しの沈黙も、すぐに新しい話題で掻き消えた。

 話して。話して。

 たくさん、話した。

 

 

 

 

 

 気づけば、とっくに零時を廻り、七月七日の夜明けの晩。

「……ねむい」

「まぁ、もう一時ぐらいだしな」

「……もう、お別れだね」

 立ち上がり、奈乃香はオレの前に出た。

 振り返り、にこりと笑う。

「もう少し、話していたかったな」

「じゃぁ、来年はもっと早くに来てよ。お昼とか」

「そう、だな。出来るだけこの日はフリーでいるよ」

「ぅんっ」

 哀しそうに、嬉しそうに。

 儚い笑顔。

 ほんの一瞬の夢が、醒めるその予兆。

「彦くん、愛してるよ」

「オレもだ、奈乃香」

 何年経っても、その想いに変化はない。

 きっとこれからも。

 織姫と、彦星も。

 オレと、奈乃香も。

 ずっとずっと、変わらぬ想いと、在り続ける。

 

 

 

 

 

 「──また、来年」

 

 「──あぁ、また」

 

 

 

 

 

 どれだけ時間が経ったのか、朝日は昇り、空高々と、オレと世界を照らしている。

 もうすぐ、夏だった。

 「──……あぁ、思い出した、送り火、、、だ」

 

 

 

 

 

 オレは想う。

 奇跡なんて起きないと。

 己の願いを実現できるのは、自分しかいないと。

 

 ならば。

 

 ならばオレは──

 

 

 奇蹟、、なんて願わない。

 そんなものには、すがらない。

 

 自分だけを信じて──

 

 

 

 

 

 ──彼女を再び、生き返らせてみせる。

 

 

 

 

 

 何年。何百年。

 どれだけかかっても、オレはオレの願いを、叶えてみせる。

 どんなに大きな奇跡、、だろうが、オレは絶対に起こしてみせる。

 待ってるだけじゃ、どうせ奇蹟、、は起きないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暑い日差しの中、静かな雨が、降っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──また来年も、会えますように  奈乃香

 

 ──七夕だけじゃなく、お盆とかにも、会えますように  夏彦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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登場人物─名前由来

女郎花みなえし奈乃香なのか
苗字
七月の異名、「女郎花月(みなえしづき)」から。
名前
七月七日の「七日」→「なのか」→「奈乃香」。

燈貫ひいずる夏彦なつひこ

七月の旧暦「文月」の由来の一説に、稲の穂が含む月であることから「含み月」「穂含み月」の意であるというものがある。
そこから「穂」を取り、インフォシークで調べてみると名乗りに「ひいずる」というものがあった。変換は出来ない。
「穂」→「ひいずる」→「燈貫」
名前
「夏彦星」→「夏彦」
ちょっとありがち感。
「彦くん」という愛称は、似合わないけど奈乃香が言うと妙に可愛いと思う。