恋談話日和
「バレンタインに女の子が男の子にチョコレートを渡すなんて、どうかと思うわ」
そんな風に彼女は言った。
それは丁度バレンタイン当日の、放課後の空き教室での事だった。
俺と彼女は、橙色に染まった教室で向かい合って話していた。
そこで俺は僅かな希望をもって、彼女にバレンタインの話題を振ったのだが……。
「好きな男にどうしてチョコレートを渡さないといけないのよ」
とまあ、こんな具合でバレンタイン(とそれに乗っかる全て)に真っ向から喧嘩を売り出した。
「日本くらいよ。司祭の命日に愛の告白なんて。それも女性から男性へなんて、男女平等を唱える昨今に逆行してるわよね。もっとも、私は男女平等も嫌いだけれど」
スイッチが入ると途端に饒舌になるのが彼女の悪い癖だ。
「男と女は、全く違うものよ。なのに平等だなんて。まあ、そもそも平等の意味を履き違えている連中が多いからかもしれないけれど」
「いや、待てよ。なら、男女平等に逆行しているバレンタインを認めてもいいんじゃないか?」
「違うわよ。それとこれとは別物。さっきのは、男女平等を目指す社会がバレンタインという一方的な流行を残していることへの皮肉みたいなものよ」
しれっとした顔で、そう言い切る彼女。
なんだか煙に巻いているような印象もあるけど、ま、いいや。
暇つぶしの会話だし。
「はぁん。それで? 本当の嫌な理由は?」
「性分ね」
「誇りみたいな?」
「思想でもいいわ。……嫌なのよ。なに?みんな、何かに託けなければ好きな人に想いを伝えられないわけなの? それって本当に好きなわけ? 違うでしょう? 本当に好きならば、確かにムードは大事かもしれないわ、でも、本当に好きだと言うならば、そういうもの抜きに告白するべきだわ」
そう、彼女は断言した。
「もっと、気持ちに素直に、愚直に突き進むべきだわ」
「わからなくもないけど、こういうイベントがあるから、勇気を出せるんじゃないか?」
バレンタインだ。よぅし、頑張って告白するぞ! みたいな。
「あと、好きな相手でなくとも、チョコレートを貰って愛を向けられたら嬉しいものだぜ? そういうのには良い機会だろ。必ず返事をしなければならない告白とは違うからな。渡してはい終わりと、ある種気が楽だ。それに一月の猶予もある」
考える時間は十二分で、緊迫感はほとんどない。
ノーリスクノーリターン。けれど脈の有無という、確かな結果が得られる。
ま、俺は貰ったことなんてほとんどないし、渡す側でもないから、実際の心理はよくわからないけど。
「なんだか軽い印象を受けるわね。愛が軽い」
「まだ高校生だからね」
「そんな軽目の恋愛で満足出来るの?」
「軽目の恋愛でどこまでもいけるのが、俺たち高校生だよ」
「キスも簡単に?」
「それ以上もたやすくね」
今は、そういう世の中だろう。
金で体を売る奴も、沢山いるという。恋愛で簡単に我が身を捨てる奴も、多いのではなかろうか。
「なんだか、嫌ね。愛って崇高なものだと思ってたけど、チョコレートで買えるのね」
「物で愛を確認するだけさ」
「寂しいわね。証拠がなければ愛もわからないなんて」
「君は違うのか?」
「……」
彼女はしばし逡巡してから言った。
「貴方はどうなの?」
「質問返しはマナー違反だよ」
「そうね。……多分、同じなのよね、きっと。偉そうに言っても、私も何かがなければ愛が解らないわ。言葉とか、行動とか」
「悪い事じゃないと思うよ。確かな答えは、誰も欲しいものだ。恋愛でなくとも」
「……私たちは、臆病ね」
「なんで」
「これも全て、牽制でしょう。どちらが言うか、謀ってる」
「……さてね」
「いつも停滞ばかり。最後の一歩が踏み出せない」
「けど、それもいいなと思ってる?」
「当たり。だから、臆病。わかりきっている答えを出すことにすら躊躇っている」
「今を維持するために」
「壊れる時を先延ばしにするために」
二人して、溜息をついた。
「さ。帰りましょう」
「そうだね。もう外も暗いし、送るよ」
「ありがとう。送り羊さんは安心ね」
「皮被ってたら?」
「食べられてあげましょう。私は優しくて可愛い羊さんだから」
「自分で言うなよ」
軽口をたたき合って、俺と彼女は教室を出た。
俺は彼女の手を、そっと握る。
「……あら」
けれど、直ぐに離した。
「ビビりー」
「うるせー」
今年もまた、進展はなし、と。
俺らが歩き出すのは、どうやら、まだまだ先らしい。
情けない話だが、バレンタインの日に成立するカップルが羨ましいよ。
あーあ。
……あーあ。